きのこ狩りの残党

私が見ているアイドルの世界

深海の蛍


身の上話と現在地。





コンサートに複数回行けることになった。あっありがてぇ…このご時世にどんなバブルきとんねん。


私も一緒に応募した友人たちも「絶対的多ステ主義」ではない。複数回入れたらうれしいけど、何が何でも多ステ!みたいなタイプではないので、というかなんならここ1年は外れてきた側の人間。

4人でいつメンしている加減もあり、当たりを引くとデカい。大雑把で大成しないギャンブラーのやり方感がある。ギャンブラー界のことは知らんし、みんなものすごく堅実な社会人やし、我々はそういう堅実な見た目をしているけどね。知らんけど。


思い返せば、全員揃ってもれなく幻のデビューコン外れてるもんね、、あれつらかったな…。だからうれしいし、よかったし、巡り巡ってきたものでもある気がしている。サマパラぶりのいつメン!素直に楽しみ。

そう思うとコン事務案外バランスよくやってる、偏りがえげつないだけで。私の中のふぉゆさんが「サンキューサンキューで~す!」言うてますわ。関係ないけど人生一度はふぉゆとビールを飲んでみたい。



当落からこっち、休憩している私が複数回入ることってどうなんやろなぁってずっと思っていた。

去年までなら、きっとただ純粋に「うれしい!」だけで、フルスロットルで駆け抜けた。でも今は、ちょっと困惑しているところもある。私より彼らを好きな人はたくさんいて、私には、私より彼らに会ってほしい人がいて。だからなんとなく身の置き所がない、妙な居心地の悪さがずっとある。


元々は1公演入れれば御の字、という気持ちだった。だって最近ずっとそんな感じやもん。それにすっかり慣れてしまっていた。その上、この人気。だから当落前は4人がかりで1公演くらいは取れるだろうか、という予想というか願いというか。


私の今回の目標は「いつメンと4連」と「自担の誕生日公演」。おかげさまで前者は叶ったし、後者は巡ってきたのがMっさんの誕生日やったけど(誕生日違いにも程があった)(Mっさんのオンナが喜んでるからいい)、許容範囲というかお誕生日の次の日の自担に会えるし、±3日はお誕生日みたいなもんだし、大阪ラストは楽しいが過ぎるだろうから十分すぎるくらいの結果。


そしたら、なんだか私贅沢だな感が拭えない。

あんだけモヤモヤをぶっ放しておいて、あんだけ違うグループの自担の話ばかりしておいて、都合良すぎない?心にヲタクと短気なオヤジだけじゃなくて思春期の中2女子も飼ってるんですわ。


ただ、いちばん気にかかっていた身近な友達には身内の女神がチケットを譲ってくれたから、「私が何が何でも絶対に入ってほしい、入った方がいいと思っている人」の問題は解決した。よかった、本当によかった。うれしい。

だから私も私だけが幸せになるんじゃなくて、この気持ちをどこかにおすそ分けできないものかと考えていたけれど、ありがたいことに渡辺のオンナが「あんたは交換探して誕生日公演に入りなさい」としきりに言ってくれている。


自担の誕生日公演なんてなかなか巡り合うものではないし、いろんな条件を考えても、今回はチャンスが大きい。お言葉に甘えたい。

じゃあそれを差し引いてどうにかできないかとずっと考えていたけれど、なんとなくスマートにいかずややこしい。


数日間、どうしたもんかな〜という気持ちを抱えていた一昨日だったかな。起きたら妙に頭がすっきりしていて、洗濯物を干しながら(突然の生活感)ふと、「あぁ今回はこの与えられた分、行かしてもらえばいいんかもしれんな」って思った。

幸運にも揃ったチケットと行こうと思える気持ちは普通にそこにあるようで、実は結構絶妙なバランスの上に成り立っている気がする。こんな時は二度とこないかもしれない。

せっかくの機会やし、素直に楽しみを抱えてみたい。法外なレベルでチケットがあるわけでもないし、たまにはそういうのもいいのかも。てか法外な量あったら新吉親分みたいにばら撒いてるわ、金さんの小判やけど。


いいのかなぁって迷っている時からずっとチケツイは出していて、今のところ箸にも棒にもひっかからんってこのことかな?というくらい何もないんですけど(現実ゥ)、RTしてくれるお友達が何人も梅子をその公演に行かしてやりたいと言ってくれて、その言葉がまずとてつもないギフトだなって思った。

お友達たちの優しさをダイレクトに受け取って心がぽかぽかした。日々ああでもないこうでもないと訳のわからんことをこねくり回して病んでいる私が誰を好きでも、何を見ていても友達でいてくれる。

それは「私が誰を好き」で測るんじゃなくて、「私」を見てくれているということ。頭でわかっているようでそれが実感として伴うことは、自己肯定感がチョウチンアンコウに出会えてしまうくらい低い私にはとっておきの気付き。潜りすぎ。


なのでチャンスは逃さないようにしたいし、うれしいとありがとうを抱えて持っていきたい。だから頼むよ、チケットの神様。という強欲を添えて。



ああでも私が行ってほしい人はまだいるので!!その人たちのことは祈祷婆として心から復活当選やら制作開放やらその他もろもろヲタクとしてのハッピーのかたまりを一方的に念じております!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





休憩の先に残っていたものは「自担が好き」というごくシンプルなものだった。

それだけが残った。それしか残らなかった。


予想通りといえば予想通りなのかもしれない。予想なんてしてなかったけど、いちばん妥当な結果というか。

自担への「好き」は残っていた、よかった。なんだかちょっと安堵した。もろとも吹っ飛ぶ危険性も感じていなくはなかったので。

このタイミングで自担が病気をしなかったら、やっぱり好きなんだとか自分の中でどれほど大きなアイドルなのかとか、気付くのはもっと先になったかもしれない。怪我の功名って最近多いな。けど自担たちよ、もう「怪我」的なものなんてしないでね。元気でいてよ。


私の中に残ったとてつもなくシンプルな答え、それについて最近は考えているけれど(一生考え事してるチョウチンアンコウメンタル)、私のはいわゆる「アンリー」と呼ばれる思考とは違う。

私はグループの中で役割を全うして輝いている自担が好きで、そこにいてほしい、そこにいてキラッキラに輝いていてほしい。グループを愛しているところや誇りを持っているところが好きだから、あなたにはアイドルとしてそこで絶対的に幸せになってほしいです。

(重ォ)


最近忘れていたけれど、ずっと私は自担だけを愛でてきたヲタクだった。某櫻井氏を好きなころ、そのグループを好きだったのは某櫻井氏がいたからであって、グループ自体に愛着はなかった、と思う。コンビ萌えも大してなかったし、周囲にはそこまで興味がなかった。

そんなふうに書くとめちゃくちゃドライやけど、グループにも情はあった。ただ、いつも「人」が先。そのグループを好きな理由は「自担がいる」だった。

それはどのアイドルを好きになっても変わらなくて、そういう形でヲタクをしてきたので、このグループは箱推しだなって思ったこと自体が初めてだった。歩んできた歴史も他のメンバーもグループの中の関係性も全部愛おしく思えて、そんなの新境地!すごくうれしかったし、新しい感覚が本当に楽しかったし、大事にしたかった。ずっとそのまま追いかけたかった。


今はその場所に対しての自分の気持ちがよくわからないけれど、とりあえずそのままにしておく。コンサートを越えた先で何か見えそうやし、そうなったらいいなって思っているところ。

その先に見えたものが結局「自担がいる場所を好きでいられる自分」であれば、それだって正解。ただの原点回帰。その後どうしていくかは、またその時に決めたらいいし。

というのが今の私です。



もうすぐ、アオハルの秋がやってくるらしい。