きのこ狩りの残党

私が見ているアイドルの世界

ドラマチック


中華を食べていた。街中華。妹と2人で忘年会やでとテイクアウトして、お腹ちぎれそうなくらい食べた後、知った。

衝撃はあったけど、心のどこかで「そうなったか」という妙な納得もあった。おは朝を休んだその日からずっとあった違和感が、いつからか嫌な予感に変わっていたから。


けどこんな、こんなふうにもう会えなくなるなんて思ってもなかったから、じわじわとかなしい。


食べた中華が戻ってきそうやったもんな。エビチリ、めっちゃおいしかったんですけど。





ほぼ4年前、大晴くんを好きになった。

結成してからずっと、なんとなく気になってたAぇ! group、だから「Aぇ男塾」はずっと録画していて、でも特に「自担」と呼ぶような人はできなかった。ていうかAぇのことは認識してても、まっさんとリチャと小島しかわからんレベルで見てただけで。

でも引越し屋さんに挑戦する回を見たとき、大晴くんと佐野が狭い階段を通って重たいタンスを2階に運ぶっていうのをやっていて、下側を持ってあげた大晴くんがやさしくて、いやいやよく見たら顔もかわいいな!?とキュンときた。多分あの日、「福本大晴くん」をちゃんと覚えたのだと思う。


引越し出の福本担になった私は、さささっと情報局の「好きなタレント」欄を大晴くんの名前にした。デビューして1ヶ月ほどの間もとりあえず、ずっと阿部さんのままだったやつ。

これ変えるのってもうマジやもん。好きやん。と妙に自意識が働いたのを覚えてる。チャリに乗ってる途中やった。家でしろよ。



大晴くんを好きになって、いろんな景色を見た。


コロナの影響で行けるはずだった春松竹がなくなって、私は一生大晴くんには会えないのか!?なんて考えたこともあったけど、初めて会えたのは、その秋のドリパビ。こっこんなかわいいアイドル実在するんか!と衝撃を受けた。

2列目ドセンで見た青木さん家の奥さん。足が震えるような席から見たハイトーンの髪や涙袋がかわいかった。千穐楽やったから、挨拶で感極まって涙声になってたことも忘れない。

大好きだったサマスペは初めての松竹座。初日に入ったのだけど、幕が開いて客席を見た瞬間に笑みがこぼれていたところとか、地蔵になってる私に多分指差してくれたこととか懐かしい。たくさんファンサしてたなぁ。地蔵やった私も、くまと入った日にはキャッキャとファンサをもらいに指ハートを繰り出した。

夢の単独は、証拠とかビクショとかドーキーズのTABOOとか。ベースをいつか目の前で見られたらいいなと後列から見ていた景色、空言オーケストラで舞うキラキラの美しさ。

1年だけAぇがど真ん中に立っていたあけおめは大阪と名古屋で見て、大阪は大晴くんが挨拶をする公演で、泣きながらこれまでのことや今の関ジュが大好きだと語って、見事に噛んでもいて、愛おしいが過ぎたよね。

やむを得ずなくなったサマパラのあとに、初のアリーナクラスのライブやでって、ぴあアリでやってくれたおてんと。このころは私のAぇへのモチベが低くて、もう降りちゃうかもなと心の片隅で思ってたのに、アリーナの田の字の中に入ってしまい、あわわあわわと緊張した、あの日。

大阪城の夢祭。夜空に響いたギャグがきれいに滑っていたけれど、めちゃ楽しかったなぁ!黒髪に和装が良すぎたやつ。

今年の冬、グレショーをいよいよこの目で見られたガチネバ。お芝居をする大晴くんを見られて、夢が1つ叶った。くまがとんでもない席を引いてくれて、開演5分前からガサゴソしてくまに怒られたな。2列目から双眼鏡かざして見事に目が合ってしまって反省した。

香川や京都や大阪で見た、ヲタク人生最高の思い出になった全ツ。ベースを目の前で見る、の夢をお友達2人に叶えてもらった今年の春。Aぇのこれからが楽しみで仕方なくなった。

ドームで先頭切って走っていた、暑すぎたわっしょい。てっきりデビュー発表するかもな?なんて思って、こっそり「Aぇデビューおめでとう!!!!!!」のうちわを仕込んでいた夏の日。


現場のほかにも、おは朝とか、クイズ番組とか、ラヴィットとか。この4年でテレビにもたくさん呼ばれて、ゲキカラドウとか埼玉のホストとかお芝居のお仕事もあって。グレショーや旧ジャニ博やヤンタンも。活躍の場がどんどん増えて、目が離せなかった。

アイドルとして求められて加速度的に進化していくから、キラキラが増していくから、頼もしくて。天性の愛され力が発揮されて、いろんな方にかわいがられていたのもうれしかった。


私にとって、紛れもなく「晴れをくれる人」になった。


その存在にたくさん助けられて、あぁ大晴くんがいるからがんばろうと思えたことも何度もあって。

ふと気になったあの日から4年。本当に大好きなアイドルになっていました。




いまツイッターを、旧ツイッターか、をうろつくと心無い言葉がたくさん並んでるけど、逆の立場なら言いたくなる気持ちもわかるところがあるけど、でも、私は、大晴くんが頑張り屋さんだったことを知っている。たくさん努力してきたこと、勉強してきたことも知ってる。

アイドルの仕事を疎かにしていたわけじゃない。最初苦手そうやったダンスは、ここ2年ほどは見るたびに上達していた。演出とか構成への挑戦、コンサートで客席を煽ることだって、全部やる気を持って始めたこと。

グループのこともとても考えてたし、メンバーのことも大好きなのが伝わってきていたし、片手間でやってたわけじゃない。「デビューして5大ドーム」、それだってずっと口にして目標にしてたから。真剣だったのなんて、十分過ぎるほどわかってる。




ただ、こういうことになってしまって、詳細はわからないながら大晴くんに非があるのは間違いなく、いろいろ言われても仕方がないのだと思う。

そして、脇が甘いし見立ても甘い。1ファンとしてでも危ういところを持っていたと感じているから、残念ながら遅かれ早かれ、こんなことが待っていたのかもしれないとも思う。

仕方ないなんて言いたくないけど、仕方ない。



こんな形で終わってしまって、そんなの頑張ってきたことさえ、力をつけてきたことさえなかったのと同じになってしまって、私はそれがすごく悔しい。

なにを言われても仕方ない状況で、私の声はなににもならない。悔しい。


ダンスやベースがうまくなっていてうれしかったとか、歌苦手なのにあのパートをもらってたよねとか、あの衣装が似合ってた、この髪型が好きだった。事務所の問題に大晴くんがこう言ってくれたから、すごく頼もしかった。仕事がしんどくてたまらなかったときにラヴィットで大晴くんががんばってたから私もがんばろう──そんなことが本当に数え切れないくらいあって、ただただ支えられていました。


大好きだった。


今は、Aぇに大晴くんの場所がないことがつらい。もう歌ってるところも踊ってるところも見られない。ギャグやりたくなさそうやなって思ったり、バラエティ楽しそうやなって思ったりすることもできない。

主演舞台を見たいと願うこともできない。

手が届きそうだったデビューをすることも、できない。

そんな現実がつらすぎる、というのが今の気持ち。

この先も好きを積み上げて、「かわいいの天才だったなー!」なんて言う日々が続くと思ってた。続いてほしかった。まだ見たい景色がたっくさんあったなぁ。



けど、私が今ブログを書いてるのは、大晴くんが私や誰かにとって最高のアイドルだったことをちゃんと残しておきたいと思ったから。

あなたに支えられているファンもちゃんといたということを言っておきたかったから。


Aぇの今の活躍の一端には大晴くんの頑張りもあった、それは紛れもない事実でしょう?


その道を自分で手放すことになって、どんな気持ちでいるのかななんて考えたけど、私はそんなこと知る術もない。頭が真っ白になって、後悔しているだろうか。もう戻れない、自分で手放すことになったその場所を思って、後悔してつらくてたまらなかったらいいなと思う。でも、落ち着いたらどうか自分の人生を大切に、元気にちゃんと生きてほしい。



そして、ファンとして申し訳なく思うのはどの立場なんやと思いながらも、これだけ情が移ってしまうと、メンバー5人に申し訳ないな、なんていうど厚かましい感情も芽生えるもので。すごく大変なことになってるだろうことは想像できるので、申し訳ない。

私も5人が好きやったよ。5人の中にいる大晴くんが好きやった。

これから大変な思いをすることになるんやろうけど、でも5人には幸せになってほしいし、きっと夢を掴めると思ってる。遠くから、こっそり応援してるね。



3年、4年、5年と経っていけば今日のことなんて忘れられたりとか、そんなこと知らないファンの方が増えるんだろうなと思う。なかったことになるのが、いちばんつらくて悲しいなぁ。

私が大晴くんを好きだった年数はもう増えないけど、でも、世界でいちばんかわいくて、まぶしくて、たくさん幸せをくれたアイドルがいたことは、生涯かけて忘れないと思う。


出会えてよかった。アイドルになってくれて、ありがとう。



さようならの準備をする新年が来ます。