思ったよりも簡単に、雪解けが始まった。
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この半年間が本当につらかった。
ヲタクとしての感情がずっと卑屈で、後ろ向きで、生気がない。
冷静な自分が「えぇ…ここまでなる…?」って引くほどには塞ぎ込み、俯いていた。湿度99。存在が湿気。
経験上「日にち薬」はあるとわかっていたので、少しずつマシになるだろうことは予想できていたし、ヲタクとして今まで知らなかった別の世界に足を踏み込むこともした。だから、ここまでの話の流れから想像するより、遥かに楽しく過ごしてきてはいる。
でも、ずっと鬱々したものを抱えていた。呪霊生んじゃうんじゃね?くらいの。
(最近『呪術廻戦』始めました)
ごじょ〜せんせ〜に秒で祓われちゃいそうではある。
「誰にも私の気持ちはわからない」というのがトップオブ卑屈で、人間なんて誰もが誰の気持ちもわからんわい!とも思うけど、デビューしていった人たちやそのファンの人が羨ましかったし、どうして私はここに取り残されているのだろう、という闇に取り込まれる。
そんな気持ちを飼い慣らしたような顔で平穏に、楽しく過ごす日常を保てるようになってからも、なにかあれば簡単にぐらついた。
扱いづら〜だる〜!自分でもわかるから余程。こんなやったのに、友達やめないでいてくれてありがとうって言いたい人が5人くらいいるもんな。感謝。
元のグループの情報はでき得る限りミュートした。鉄壁のミュートが昔から得意なもので、見事に目にすることはなくなったけど、それでも入ってくる情報はある。
3月、デビュー発表するんやろうなと想定はしていても、現実になると想像よりつらく、デビュー日近辺も見事に心中は荒れ、「あと少しやったのに、どうしてきみも私もそこにいられないの」と思ったことn回。
4月に本人のXのアカウントができて謝罪文的なものが出ても、存在を感じて手放しでうれしかったようなことはなく、ただメンタルが揺れた。デビュー発表で1回崩れたメンタルが立ち直ったころだったのでむかついた(むかついた)。
春ごろは、お友達におすすめされた漫画やアニメを見ているのが楽しくて、癒しと刺激をそこで受けていたので、やっと落ち着けるところを見つけたのに、少しのことで沈み込むのも嫌だった。私の人生にこんなにアイドルが作用する、それにも腹が立つ。
そして今回のことで、アイドルへの興味が根こそぎかっさらわれてしまったようで、小学生のころからあの事務所のヲタクをしてきて、初めてどれもこれも興味が失われてしまった。これは自分でもけっこう不思議だったな。補填できへんねんや。
1年前のツイートを見ては、去年はあんなに楽しかったのになと懐古して落ち込む。落ち込むけど、思い出したいときもあり。あまりにがんじがらめ。漢字では雁字搦めって書くらしいよ。
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なにか動きがあるなら夏ごろなのかなと頭の片隅で思いながらも、巡り合った新しい世界を謳歌していた初夏。
インスタが開設されていることがわかり、動き出すことが感じ取れたのは6月17日。20日に配信をするらしい。案の定、いろいろ考えて考えすぎて般若みたいな顔で夜を過ごす。
なんかもう、怖かったし嫌だった。
芸能活動を再開するとして、それを見た自分がどんな気持ちになるのか。肯定できる自信がない。楽しかった過去もろとも消えてしまう気がして怖い。
心の平穏を取り戻しては崩れ、また立て直しては崩れるを繰り返した半年。それがこんなに嫌ならば距離を取って過ごした方がいいだろう。
最初は配信を見ない方向でいたので、忘れることにしたら見事に忘れたけど(割と単純よね〜)、配信当日に仕事で行った本屋で、デビューした彼らがたくさん表紙になっているのを見かけたら芋蔓式に思い出してしまった。
飽きることもなく、こうなれたのになぁ、って思う。
春の初めに感じていた「こうなれたのに」と比べたら感情的ではないものの、どうしてかなぁって思う気持ちは拭えない。
でも配信のことを思い出してしまったし、もう般若みたいな顔はしてなかったので、20時から見てみることにした。
めっちゃ噛んでた。
めっちゃ噛みそうやなと思っていたら、めっちゃ噛んでた。まぁそうでしょう。
すっごい緊張してるのが伝わってきて、懐かしかった。垂れてる目が溶けちゃいそうなくらい、泣きそうな顔で謝罪や決意表明をしていて、
ていうか半年ぶりに見てもかわいいな、オイ。
「アイドルとして活動します」という言葉を聞いて、あぁやっぱりアイドルを諦めきれへんのやな、と思った。
アイドルに懸けているのを見てきたから、とても納得する結論。そして、私がヲタクとして見てきたことに間違いがないと裏付けするもの。
でもやっぱり、アイドルをしたいのなら、どうしてこんなことになることをしたのか。昼にいろんな雑誌の表紙を見たから余計に悲しくて悔しい。私が、ヲタクとして。
だから納得はできても、自分は応援するとかついていくというような気持ちになれるのかはわからない。というか、どうしたいのか、全然わからない。
その一方で、印象の良いセットアップを着てそこに立ち、ヘアメイクをして、きれいな場所で配信できる環境にあること、清潔感のあるきれいなアー写を撮ってもらっていること。バックアップしてくれる基盤があることが窺えて、中途半端な再スタートじゃない様子で、それにすごく安心した。
それは、これまで培ってきた実績からできたことでもあると思うから、良かったなぁと思った。きっとほとんどのものを失ったけど、でも、手元に残ったものもあるんだろう。
このまま終わらず、新しいスタートを切れる場所があるんやな、よかったな。今度こそ、諦めきれなかった“なりたいもの”になれたらいいね。
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その日、FCの開設やライブツアーの発表があって、えぇ…どうしたらええん…?と、ひたすら困惑して寝た。
あんまり、ライブに行きたいと思えなかった。
ヲタクとして、このまま消えていく方がいい気もした。
けど、その夜や一晩経ってから信頼してる友人たちと話すうちに、まぁキャパも小さいし、応募して当たったら行くぐらいの気持ちでいいかという方向に傾く。
行って、見て、自分がどうするのか決めたらいい。
ほんならとりあえず、月額の契約でFC入っといたらええわとぬるっと手続きしたら、3ヶ月コースか12ヶ月コースしかなかった。なんでやねん!お商売うまいね!
ライブの応募が始まった25日にはFCで配信があり、それはいろいろ考えず普通に見た。
そんなタイミングで配信がなされることにも、ちゃんとマーケティングというのかブランディングというのか、そういう戦略を立てられる場所に身を置いてるのを感じる。
その夜の私といえばコウケンテツさんのチゲ鍋のレシピを見つけて、調味料は酒と味噌だけでできるんや!簡単やな〜って作り始めたら、肝心の酒も味噌も、うちの冷蔵庫にはレシピの半量しかないやんか。もう作り始めている辺りが、見切り発車甚だしい。
「チゲ鍋 スープ」で検索、出てきた調味料を片っ端から入れてみる。みりん・ほんだし・鶏がらスープ。なんやわからんけど、おかげさまで事なきを得た。追加は絶対鶏がらスープだけで良かった。うーん、それなりにおいしいけど、これはもはやコウケンテツのチゲ鍋ではない。
そんなオリジナルチゲ鍋になるしかなかったものを食べながら、配信を見た。
今思えば、雪解けの始まりはここ。
20時、配信が始まると、よく知るかわいいの天才が画面の中にいた。
思ったより多くの人が見てくれてるとか、想像以上に多くのコメントが流れていくとか、そういうなにかびっくりすることがあった顔で、画面を見ている目がまん丸になったのがわかった。ちょっと笑っていた。
変わってないな、かわいい。懐かしくて、うれしかった。
この日も盛大に噛みながら、こないだのYouTubeでの配信とはだいぶ違うリラックスした様子で、柔らかい空気でしゃべっている。
かわいいな、相変わらず顔がかわいい。
FCのこととかライブのこと、FC内でブログを始めるとかライブ用にグッズをつくるとか、作った曲のデモ音源とか。今できるいろんな話をしているのを見ていると、あぁこの人はもう、1人でやっていく決意でやってるんだなと腹を括っているのが伝わった。
そして、この世界がちゃんと成立していた。
ほんならもう、この道でいいよなって初めて思えた。
ずっとつきまとっていた「なんでこうなったんや」という気持ちは、本人がいちばんそう思ったに決まってる。何百回何千回と後悔したんじゃないかと思う。人生が変わってしまった。
それでも諦めきれない道で1からやっていく覚悟が見えて、じゃあこの道でがんばれって、本当に初めて肯定することができた。
FCは、あの事務所のヲタクだった私には見たことのないコンテンツであふれていて、正直今もよくわかってないけど、でも彼がこの空白の期間にたくさん準備してきたことを感じたし、今の環境で、アイドルとしてできることをしようとしてるのが充分過ぎるほどわかった。
心の中でがんじがらめになっていたものが、FCに入ってから少しずつほどけているのはわかっていた。めちゃくちゃチョロいな自分と思いながらも、いろんなことに取り組んでいるのを見て情が動かざるを得なかった。
その上でFCの配信を見て、たくさんの後悔や心残りやずっと心に残り続ける黒いものを抱えて、それでも光り輝く道に戻る覚悟を感じてしまい、とても前向きに「よしよし、がんばりやぁ!」と思っている自分に気付く。
相変わらず、バファリンの半分は情ですわ。
ずっと、「なかったこと」にされるのがいちばん怖かった。それがいちばん怖くてつらい。仕方ないけど、元のグループのデビューに際しては「なかったこと」になっているから、やっぱりつらい。
でも、この10日近くを通して、本人にとっては「なかったこと」にはならないなと感じられたのがうれしい。私が見てきた日々のそのずっと前からの積み重ねがなければ、今こんなふうには道を切り開いていけないだろうから、地続きの今なんやなって思えて、それがすごくホッとした。
とはいえ全く想像のできない世界で、自分がどこまで応援できるかは未知で、手放しでキャッキャできるわけではないと思う。こんな性格やし。でもそのときはそのときで、そこまでのご縁やっただけの話。
まずは新たな門出を、彼を応援したいと思う私くらいはたくさんお祝いしてもいい。
やっと年が明けた。あけましておめでとう。