きのこ狩りの残党

私が見ているアイドルの世界

ハレノヒ

1ヶ月なんて、あっという間に過ぎるとわかっていたけれど、それにしたってやっぱりあっという間だった。


2022年7月17日(日)、私の推しメン・山崎怜奈ちゃんが乃木坂46を卒業。私の区切りとして、この1ヶ月の振り返りを残しておきたい。

れなちのブログを書くたび、再生回数2くらいかな?と思う割に友達の多くが読んでくれているから、「異文化」の最終回となる今回もお付き合いいただけましたら幸い。


 
卒業が発表されてからの1ヶ月、れなちはそれはそれは多忙を極めていた。

メンバーがパーソナリティを務めるラジオに可能な限りゲスト出演する「#乃木坂ラジオほぼ全ジャック」は約2週間で10番組。クイズ作家さんにノウハウを教わって作った乃木坂クイズを投下して、後日答え合わせの生配信。卒業グッズの発表もあった。

あとは元々設定されていたミーグリ(オンラインでお話しできるイベント)が残り2日間(3日、17日)と、これまでのミーグリの振り替えが最終週には連日あったりとか、もちろんその間に自分の帯ラジオ・ダレハナが平日2時間、プラスほかの仕事も並行していて、耳に入ってくる分だけでも目がぐるんぐるん回ってこっちの三半規管がやられるんちゃうかと思ったので、やってる本人は相当だったと思う。三半規管足りてたかな。
 
 
私としてはとにかくこの1ヶ月に悔いを残してはいけないと、その気概だけで走った。ちょうど緑の自担の新曲発売プロモーションやドラマ関連の露出も重なっていたので、気忙しさのトッピングは抹茶色。抹茶食べられないのに。

荷物を3つ持つとだいたい1つ落としてしまう系の人間なので、オレンジの自担なんていつも以上にほったらかしだった。月末に現場あるんやけどな。
 
 
気概だけが頼りのオンナ、卒業は1回なのだからがんばろう私。

がんばろうと思って、ラジオジャックだけはほぼ聴ききった。テレビでもラジオでも普段リアタイは滅多にせぇへんし自担のラジオでさえ聴き逃すことが多いのに、卒業までに聴かな意味ないので必死。

バタバタしてて最後まで聴けなかったりとかね、寝落ちしたりとかね、ちょっとだけあったけど。クイズとか生配信とか、自分のキャパ的に追えなかったものもあるけど、私は私なりになんとか彼女の卒業までの伴走をできた気がしている。
 
1ヶ月っていう期間設定がよかったな、短期集中型のヲタクにちょうど良かった。感謝。




 
 
 
卒業発表を受けて書いたブログにはとにかく「卒業が寂しい」と書いたけど、3日にあったミーグリでその寂しさが早々に吹っ飛ぶことになる。
 

前回から1年近く空いていたにも関わらず、私の顔を見た途端に「髪切った!?」って言ってくれたれなち。かわいいねぇ…記憶の容量何ギガですか。

「切った!」と元気に答えて(元気)、この時点ではちゃんと話せるのこれが最後だったので、とにかく思いつくままに卒業のお祝いとか感謝とか、身体大切にねっていう私の気持ちを伝えたのだけど、「うれしい、ハグしたい」って笑ってくれるその顔や、その時間を通して伝わってきた本人の空気がとにかくカラッとしていて清々しくて、あぁ、この卒業には湿度はいらないんだと感じ取った。祝福一択。だって晴れの日の沖縄みたいやったもん、あんまりカラッとしとるから。

 
それなら私もメソメソしている理由はないので、すべての「寂しい」を手放した。幸運にも17日、れなちが卒業する日のミーグリもごく少数取れていたので、明るく送り出すのが私の役目。ゴー沖縄!

実際ラジオジャックでも、「どうして卒業を決めたのか」と聞かれれば、グループを卒業した先が楽しみになったタイミングなのだとカラッとハキハキ答えていたので、耳が沖縄だった。



卒業に際して、ほかのメンバーがやってきたような卒業記念のコンサートやセレモニー、写真集の発売じゃなくて、「ラジオ」や「クイズ」、自分の好きなことを大いに活用した卒業企画は彼女らしく、彼女にしかできない卒業の道で素晴らしい。
 
同時に、自分のファンだけじゃなくて、周りのメンバーやグループのファンも巻き込んでその時間を共有したこと。自分の考えを具現化してきっちり成し遂げたことが、あまりにも尊い


私はラジオしか追いかけられなかったけど、その番組や出ているメンバーに合わせた話し方や雰囲気がお昼のダレハナとはまた違って、プロすごぉぉぉ!普通に唸ってしまうやつ。

時間帯や番組によって聴く層が違うもんなぁ。ラジオを愛しすぎている、私の推しメン。

ラジオジャック楽しかったなー!誰を相手にしても本当に上手に立ち回りながら、のびのびと楽しそうで、良い企画になったなぁってにこにこした。後輩の番組が多くて、自然にフォローしたり機転を利かしたり、かっこよかったよ仕事人。後輩ちゃんたちにすごく慕われているのを感じて、それもうれしかった。


ある番組に出たとき、「グループにいて楽しくない時代もあった」って笑い飛ばしていたけれど、今は本当に楽しそうにお仕事をしている。

多分私が通っていたのは、その楽しくない時代から今に移行する直前くらいだったかなぁと思う。
 
そういう大変なときに自分と向き合ったこととかを、断片的にweb版のHanakoでやってる連載 「山崎怜奈の『言葉のおすそわけ』」で綴ったりもしていて。そうなんです、推しメン、エッセイの連載も持ってるんです。

これは私が勝手に考えたことやけど、れなちは周りが見えすぎてしまって、余計にしんどい思いをしたのかなぁと思ったりする。

思考がよく回転する人って、すごく周りが見えるんじゃないかな。見えるがゆえに引っかかってしまうと、考えすぎて答えや理由を求めたり、そういう渦に巻き込まれがちな気がして。


きっと相変わらず忙しく毎日を生きているのは変わらないと思うけど、今はそのよく見える目を、考えられる心を、与えられた仕事に全力を出す、存分に楽しむために生かせているように見えて、うまく生きられるようになったというか、余白があって楽しそう。


いつも線がピンと張られてギリギリでどこか危うかった女の子から、心に凛と一本の筋を立てた本当に素敵な女性になった。
 
うれしい。





17日。れなちの卒業の日。いよいよ今日卒業なんだと思うと、ミーグリで何を伝えようか悩んだ。
 
というのも紆余曲折があってこの日のミーグリの持ち時間が伸びたものの、当初の予定では会話になるほど時間がなかったので、3日にすべてを伝えきってしまっていた。
 

明るく送り出したいなぁ、少しでも喜んでもらえるようなことがいいなぁと思って、卒業おめでとう、と、これから楽しみだね、私も楽しみにしてるということを伝えた。

そしたら3日とは少し違って、カラッとした沖縄というより、すごく考えながら言葉を紡いでくれたのは、
 
「アイドルだからできることもあるし、アイドルじゃないからできることもあるから、ないものねだりやからさぁ、だから、アイドルじゃないから楽しいことがこれからあると思う」
 
ということ。お気づきかな、少し私の関西弁につられているところに。Kawaii。あ、これは話が逸れてるんですけど。
 
どこか不安とか緊張の色が滲んだ印象で、自分に言い聞かせるように言っている気がして、咄嗟に私はとにかくニコニコして、うんうんって聞いた。直感的に、あなたのこれからに楽しみしかないよ、と伝えたいと思ったから。

私もすっごく楽しみにしてるね!とニコニコしていたら、ミーグリは終わった。
 
 
そのあとツイッタランドでれなち推しのFFさんが少し不安そうな顔だったことに触れていて、あ、やっぱり勘違いじゃないなと思うに至ったのだけど、年に1回来るかどうか、そんな私にまで心の内を聞かせてくれるところに彼女の嘘のない真っ直ぐさを見て、うれしかった。素直でかわいいなぁ。
 
そりゃ、いざ明日から新しい生活ってなったら緊張するに決まっている。だって転職と同じやもんな。グループの囲いもなくなるのだから、転職というよりは起業?いつかはしなければならない卒業だとしても、勇気がなければできないこと。


だから、あのとき、ふとその緊張感を感じ取ってニコニコと送り出せたことは良かったのだと思う。安心材料の1ミクロンくらいにはなっていたらいいな。
 
 

思えば、いつだってれなちに「味方だよ」って伝えることをしてきた気がする。
 
私はそれを勝手に自分の役割にしてきた。不器用ちゃんなのを感じていたし、がんばってがんばって、いっつもがんばりすぎているから、いつもどこか不安そうだったから、大丈夫だよって肯定したかった。

今のれなちはあのころのように危うくはないのに、ずっとその癖が抜けないままで、でも、うん、なんかよかったな。


 



「いつも誇れる推しでいられるようにがんばるね」
 
これは今回の卒業発表後、ブログやラジオやトークアプリなどなどでファンに向けて語られた言葉。

私も前に言われたことがある。卒業が決まるずっと前。きっと、ずっとそう思いながらやってきた、本当に心配になっちゃうくらい生真面目で、一生懸命でかわいい子。くしゃっと笑った顔が最高にかわいくて大好きな、最後の推しメン。

十分すぎるほど誇れる推しメンだからね、といつも思っている。


テレビの中で見るアイドルに名前を呼んでもらうだとか、個人的な話をするだとか、人生のご褒美を前借りしたような、うれしくて楽しくて、不思議な時間だった。

自担との共演が多いのもご縁で、おもしろい。男性でも女性でも私の「好き」に一貫性があるのを感じちゃったな。



乃木ヲタした期間、私には3人の推しメンがいたけれど、一度離れたところに引き返してでも見送りたいと思ったのは、この先の姿も見ていたいと思ったのは、私の中でいちばん特別の「推しメン」になったのは、れなちだった。

これは「どうして」とか「どこが」とか説明はできない。きっと「縁」とか、そういう目に見えない世界のもの。


今、楽しそうでうれしいのはもちろん本当の気持ちで、でも本人はもしかしたら忘れたいかもしれないけど、すごく苦しい時期、見えない壁を乗り越えようと試行錯誤していた姿だって忘れたくない。

外見も内面もこれでもかと磨こうとしていた、新しい何かを見つけようとしていたこと。苦手なダンスをがんばった先、パフォーマンスがとても輝くようになったこと。

トライアンドエラーを繰り返した証を覚えていたい。それはなんというか、長く見ていた者のエゴですけど。


れなちが卒業を発表したとき、ラジオ関係でお仕事した人とか関係者の方々の声がやさしくて温かくて、れなちはこんなにも愛されているんだなあって感激したのを思い出す。私が通っていたあのころ、こんな素敵な「今」があるなんて想像もできなかったから。

不器用に努力を重ねて進むべき道を見つけた人。不安や緊張を握り締めながらも、明るい未来を見ている人。いつだってかわいくて正直で、ひたむきにがんばる人。あの日々がなければ、きっと好きになっていなかった。私の「大好き」は、努力の天才です。


乃木坂46に入ってくれたから出会えた、最高の推しメン。アイドルになってくれてありがとう。


改めて卒業おめでとう!9年半、本当にお疲れさまでした。そして、6年間楽しい時間をありがとうございました!

あなたのこの先の未来に、楽しいことがたっくさん待っていますように。たくさん笑っていますように。いつも、あなたらしく道を歩いていけますように。ますますの活躍を確信して、楽しみにしています。


これからも、よろしくね。




と、エモーショナルに酔っていたのも束の間、れなちは卒業翌日14時にはツイッターで個人アカウント@ymzkofficial を開設。卒業の翌日はお休みだから身体のメンテナンスをしてお肉を食べるってどこかで見たはずなのに、ワーカーホリック気味の推しメン最高で声出して笑っちゃった。


前日、卒業の日は夜20時半ごろまでミーグリ、それが終わると最後のブログをあげ、メールサービス、トークアプリなどもろもろ必要なものも最後に送り、YouTubeショートでメッセージまでくれた。

その日のうちに段取り良く全てを締めたのも見事だなと思っていたけれど、半日後にはツイッター始めるその物事への取り組み、事務処理能力が神。