きのこ狩りの残党

私が見ているアイドルの世界

女神はエメラルドの爪の色


日曜日、17:30から『滝沢歌舞伎ZERO 2021』の生配信があった。

一人暮らしを始めてから「音とかって結構気にしないといけないんだな」って知った実家暮らしが長すぎた田舎者こと私、歌舞伎は気を遣わず観たいなぁってヘッドフォンを買ってみた。めちゃくちゃいい。音、耳元でめっちゃクリア!勝訴!

もっと早く買えばよかったな、そんなにいろいろ配信観てないけど。


開始5分前ごろ、待機画面から演舞場の映像に切り替わった。スクリーンにはロゴとひらひらと舞う桜の花びら、場内アナウンスも流れている。公演している時の演舞場の光景。たとえ流れているアナウンスが、「映像の録画、録音、無断転載はおやめください」なんていう現実的すぎるものだったとしても、演舞場で歌舞伎の幕が開く、その事実に泣きそうになる。


私の心はもう相当高まってしまっている。開演は今か今かとドキドキしていたら、配信あるあるで映像が止まりだした。画面で輪っかがくるくるする。なんでなん!なんで始まる時に限ってこうなるん!?毎度毎度!!!

念のため、配信の時はいつだって挙動がいいスマホをスタンバイさせていたけれど、ヘッドフォンしてるからあんまりよく聞こえない。まさかの弊害、ヘッドフォンの洗礼。これを取ったりつけたりするのも、なかなかの手間。


あれやこれやと手間取る間に『ひらりと桜』が始まってしまって、テレビで再生できたものの画面が謎に分割されたりしていて、何をどうすれば戻るのかもわからん。

その間にスンッと涙は引っ込んだし、桜はどっかーんしていたし、阿部さんはきらびやかに歌い踊っている。返してよ、私の情緒!



久しぶりの生配信、友達の多くがTLにいた。みんなで同じものを観ているのって、なんだか楽しいよね。

人と気軽に会えなくなってから、特に最近の現場は単番続きなのもあって、誰かと好きなものをリアルタイムに共有することが圧倒的に減った。少し寂しいけど、慣れた。慣れたけど、やっぱりみんなの感想をその場で読んだり、キャッキャできるのは楽しい。SNSという文明の良いところ。

いうても私は一方的に自分の「好き」を語っていることの方が多いけど。


歌舞伎で一番大好きなひらりと桜をちゃんと見れなかったことで出鼻を挫かれてしまったけれど(記憶で脳内を補完)、その後は調子が良かった。2幕のクライマックス、大詰めの決闘シーンまでは。

決闘が始まると画像が粗いっていうかザラザラになったかと思えば、新吉親分が小判をまく時を見計ったかのように輪っかがクルクルして映像が止まったから、心に菊池風磨を10人くらい召喚した。

「「「「「「「「「「許せない!」」」」」」」」」」


そんな感じで歌舞伎を改めて観て思ったこととか、その流れで思い返した最近考えていたこと。





実際に生で歌舞伎を観たはずなのに、それでも、阿部さんがそこにいる、動いている、その事実だけで泣いていた。かっこよすぎて泣ける。これはもう無差別級ヲモいヲタク選手権の決勝戦

けど、まじでかっこよかったんだもん…9剣士とか…麗しすぎたんだもん…!


ここにきて自担ロックオン体質に拍車がかかっている私、引きで見る映像や阿部さん以外のメンバーが映るところがほぼ初見で新鮮だった。


Maybeなんて、現場ではマジで阿部さんから一度も目を離さなかったものだから、軽く見積もって8割は新規映像。こんなかっこいい演出だったのか、はじめまして。

下手側で紫の背景とふっかだけが、上手側で緑の背景と阿部さんだけが、そして透けるモニターのうしろでさくラウが、と同じ場所にいるのに光やモニターの存在で分割して見せるのは、実際にいる場所以上の広さや奥行きとか、想像を立体的に駆り立てるもので、めちゃくちゃ良い。何よりあべふかがかっこいいので!

大事なことなので、でかくした。


あべふかは同じ線の上にいて、ふかラウは見えているのに線の向こうにいる。その区切られている感が妙に私をドキドキさせたし、感嘆させた。同じ世界にいるようでいて別世界。最後にその区切りがなくなって同じ場所に立つのも良い。


阿部さんだけを観ていた時より、あべふか低体温の親和性、さくラウとの対比ができた今回の方が作品に対して心が動いたし、感動した。「エンターテイメント」とか「パッケージ」ってそういうことで、一つ欠けても完全ではない。でも今の私には、その場にいたら、自分で見る部分を選べるとしたら、阿部さんだけを追いかけるしか選択肢はないだろうな、と思う。


改めて自分の感想文を書いたり読んだりしていると、阿部さんに特化しすぎていて自分でちょっと引いた。

私が3列目の虎をキメた時、前方の席から微動だにせず注がれる緑の虎女の視線に、阿部さんもいらん圧を感じたんじゃないだろうかと気の毒に思う。いや、私がやったんやけど。見られることがアイドルの仕事とはいえ、私がアイドル側なら「すげぇ見てくるじゃん!」って思うやろな。絶対思う。ごめんな自担。


前はもう少し、いろいろ見ていたような気がするけどな。気になる他のメンバーとか、話題のシーンとか。

今回も花鳥風月の時、「果たして本当にふっかの白塗りは残っているのか!?」って気になって、見てみようかなって思ったのだけど、結局視線を外すことはなかった。でも、水が直撃してる翔太はちょっと見た。そこまで水が当たらない阿部さんの前で、めっちゃ息継ぎしてた。


なぜ自担だけを追うことに拍車がかかっているか。それは、今の不安定な状況からきているものだと思う。

2年前、現場はなんとなくずっと続いていた。長距離マラソンみたいな感じで。まだ発表がなくても例年に照らせば何かあるに決まっていたし、なんとかして行くし(絶対的定価ですよ)、また会える確約が、ないけどある。そんなふうに思っていた。

現状、繰り返し書いているチケット争奪戦の泥試合、新型のアイツで突然なくなる公演、今の彼らの人気。そういうものが重なって、自担に会うことのハードルがめちゃくちゃ高くなっている。あのころの確約なんて木っ端微塵に飛び散った。

スタミナがなくなって「来月も東京やん〜笑」「6月と10月だけ休みやな笑」なんて地獄のミサワ感を醸し出していた呑気of呑気な当時の私は、もっとありがたくその時を満喫しろ。


次、いつ会えるかわからないな。もう二度と会えないことだってあるかもしれない。

そんな小難しいことをずっと考えてるわけじゃない。でも言語化してみれば、そういう気持ちを本能的に無意識下にずっと抱えていて、だから私は今、阿部さんに会えるチャンスがあったらただひたすらにその姿を追うのだと思う。後悔しないように、大好きだと思うものを目に焼き付けたい。


言葉にすると重々クレイジーで笑うけど、私という人間はそんなことばっかり考えてます。

なんか…みんなこんな私と友達でいてくれてありがとうって思ってきた…友達各位へ。





阿部亮平さん至上主義すぎて阿部さんのことしか観ていないけど、やっぱりSnow Manのことは好きです。

環境の変化についていけなくて、好きを見失いながらふらふらヨタヨタと歩んできたここ1年を経て、改めて思う。


Snow Manは、やさしい。やさしい男子が集まっている。

「やさしい」の定義なんて人それぞれなので、他Gのあの子もその人もやさしいよ!って言われればそうでしょう。正門良規なんてDNAに「やさしい」が組み込まれてるもん。バファリンよりやさしさの成分多いし、あんなんやさしいが髭剃って服着て歩いてるもん。


私が感じている“Snow Manの発するやさしさ”は多くの人に居心地の良さを提供する、ふわふわ毛布、あったかブランケット、エアリズムの布団のシーツ的な、そういうものに似ている。エアリズムのシーツほしいんですよね。持ってないんかい。

出会った時からいつだってファンにやさしいし、ファンのことをすごく大切にしてくれる人たちだなぁと感じてきた。


少し前、末澤班長と正門乙女と出生順の話で盛り上がったことがある。生まれた順番、兄弟の中の立ち位置で現れてくる性質の話。なんなら血液型より出生順の方がよほど性格診断の信憑性高いよね、と思っていて、いろんなグループを勝手に検証したりして。

興味がある人は、こちらの説明がわかりやすいかと。


Snow Manは第1子(長子)が多い。9人中7人って、なかなかの比率。元々のメンバー6人中5人が第1子やし、佐久間だけ中間子やけど、人の間を渡り歩くのがうまい真ん中っこ。6人のあの男子校みたいなあっさりさっぱりしたバランスや、増員になった時の受け入れ体制を思い返すと、長子・中間子の成せる業だなと。

それはもちろん、一方的な成果じゃない、増員組の資質もあってのことで、長子1、末子2もいいバランスな気がする。面倒見いい気質の人と、甘え上手な人たちと。あのグループとして結束したスピード感には、そういう構成も一役買っているのではないか。

いろんな日があると思うけど、基盤としては穏やかに関係が成立している。流れてる空気がやさしくて、見せてくれる世界は居心地がいい。


すの日でも書かれていたけれど、この大SNS時代やから、何が起こればメンバーみんなよく知っている。なんなら、いい意味で大したことない話しか流れてこないTLで生きる私よりも、彼らの方がヲタクの動きの機微を知っているかもしれない。その上で、トゲトゲしたものをやさしく、まぁるく、あったかく包んで持っていくような、そんな感じがする。



私自身は最近の、何かにつけて荒れることに対して疲れていた。すの担としてのモチベというのかな、「好き」を続けるには自分の気持ちの乱高下がひどすぎてついていけてなかったのもあるし、居心地の悪さを感じていた。こういうの、なんかずっと言ってるけど。

相手の気持ちを推し測れば、理由も根源もわかりそうなものなのに、推し測られることもなくガワだけ食べて横行していく言葉たち。串カツ屋かよ、ってくらい並ぶ揚げ足。みんながみんなじゃないのに、そういうのが蔓延して見えた。個の気持ちが全ファンの総意のような顔をして流れている。元にあるのは「悲しい」とか「つらい」とかのはずなのに、「違う」に変換されている。これは、似て非なるもの。

私の好きなアイドルはそんな浅はかでもないし、いつもやさしい、やさしくあろうとしてくれる人たちなのに、どんな時でも私たちの前ではキラキラでニコニコしてくれているのに。それが仕事やとしても中身は同じ人間なのだし、その裏で傷ついているんじゃないかなと思ったら私が落ち込んだ。

でも、私が穏やかなのは現場に行けているからなのか?そうじゃなくても、そんなふうに言ったりしない自分でいたいけど、そうとは言い切れない。だから何も言えないし、言わなかった。


結局、そのトゲトゲを治めてくれるのはいつだってアイドルたちが発する言葉で。しんどい思いもしてるだろうに自分たちの立ち位置や役割を把握して、素手でトゲトゲをなでては丸くしてくれる。

私はそのやさしさに何度も掬われ、救われてきたと思う。直接的にではなくても、やさしいところを見るたびに心に貼るカイロを貼ってもらうような。好きです、貼るカイロ。だからやっぱり敵わないなぁ〜!と思う。私より歳下なのにね。光も影も強い世界で生きている人たちは、随分大人だ。


ちなみにAぇの割合は(唐突に)、長子1・中間子1・末子4。自由な雰囲気出るのわかるよね〜。意外に長子は大晴くんです。知ってしまうと意外でもないけれども、かわいいの極みだけれども。





歌舞伎の配信についてはMaybeのことしか書いてないけど、私が見たのと舌打ちまでのわずかな流れを変えてきた9剣士も、メンカラの照明をやっとちゃんと把握できた挑発的なブラゴも、スイッチが入るのが美しい花鳥風月も、明日の心に「晴れ!」をくれた天気予報も、WITH LOVEの大好きな輪っかのフライングも。全部全部良かった。一挙手一投足、恋。


幕間に入った途端流れた、IMPACTors・佐藤新ちゃんの突撃インタビューの映像。1幕が終わって、幕間30分あんのか〜と思ったら突然始まってびっくりした。でも、Snow Manがいる世界、そういうことしそうすぎて微笑んだ。微笑んだけどトイレ行きたい。

阿部さんの浴衣姿見せてくれてありがとうな、新ちゃん。楽屋も、後ろに置かれてたドライヤーやお弁当らしきもの、「お前ふざけんなよ!!笑」を引き出してくれる質問。なんか…有益すぎて白目。佐藤新、ハムいる?送る?

「歌舞伎を見てるファンの方へ一言」という質問に「明日の活力になってくれたらうれしいので、難しいことは考えずに100%で楽しんでください!」って言ってくれたのがうれしかった。1幕見終わってちょうど、はー!ええもん見せてもらったから明日からもがんばろうかな、って思ってたところだったので。

自担の狙いにぴったりハマっている自分が地味にうれしかった。もう病気。でも、ヲタクたるものそういうものよね。


佐久間くんのターンでまた出てきた阿部さん。ふすまから出てくる阿部なんて、歌舞伎の楽屋でしか見れん…!まじありがてぇ。ラブい。そしてふすま閉めてからも、その奥でまだ笑い声響かせてくれる阿部さん。ラブい。

幕間まで楽しませてくれるのはもう、ホスピタリティの塊。トイレトイレ言うてごめんな、映像終わってからちゃんと10分くらいあったもんな。さすが。こんなにトイレに行きたいのは、昼間暑すぎてお酒を飲んでいたからです。


アイドルは、明日を生きる活力。日常をがんばるための光。そんなことを再確認できた夜だった。楽しかったな。ありがとう。




歌舞伎の公演が再開されている。どうか最後まで、御園座の大千穐楽まで青い桜が舞い続けますように。

そして、何がしかのミラクルよ起これと、ずっと願い続けている(もはや祈祷って呼ばれてる)ものが叶ってほしい。しつこいから内容まで書かないけどね!